短歌への思いは2013年4月発足以来、益々深まりつつあります。2018年6月に110回の歌会を迎え記念小冊子を刊行しました。
短歌には生活感や、若き日々の思い出、わが子への愛情、過去の哀しみ、歴史観、また旅行記等を訴え各自の歌評を交流しあいました。
現在は、青葉台の本の家で「もえぎ野歌会」と合同でやっています。環境の異なる方とのコミュニケーションは今の時代に必要とされています。定年後、還暦後の短歌教室は若さの維持・健康の維持に役立つようです。
若さそれは好奇心という感情です。いろんな角度から創作を作っています。
付録には歳時記の如く好奇心を持って写真を撮りました。
まほろば写真集としました。古事記の追跡から、100名城や寺社他季節を巡るいろいろな写真をお届けします。
支部名は月草の会です。月草は雑草です。
短歌は、日記を書くように、また兼好法師や西行の時代ではないが現世をよく見て生きる喜びを見つめ歌を詠っております。雑草のような強さを抱き継続しております。文法や短歌の深さは未熟です。でも、まだ立ち向かう気持ちはありま す。向上心ばかりではありません。人間の温かさを交流するのも月草の会です。 結社「星雲」の支部です。全国大会出場もあります。
歌会会場:横浜市青葉区青葉台「本の家」
東急電鉄:田園都市線:青葉台駅より徒歩10分
♦♦♦♦房総の水仙・夜景♦♦♦♦
鎌倉八幡宮の牡丹・梅・ミモザ・材木座海岸
<西田幾太郎館にて>
西田哲学は難解といわれ恐るおそる訪ねた。
大きな文字額があり、含蓄のある言葉があった。
・哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀で
なければならない。
・非常時になればなるほど、我々は一面において落ち着いて
深く遠く考えねばならぬと思う。
・生きるために便利だから真理なのではなく、逆に真理だか ら我々の生活にとって有用にされ得るのである。
・予の妻よりよき妻は多かるべく予の友よりよき友は多かる べししかし予の妻は余の妻にして余の友は余の友なり
・有るものは何かに於てある
西田幾多郎と島木赤彦・・・万葉集の鑑賞を著した時、京都大学の古写本を見に訪れ西田が手助けをした。赤彦の「写生」についての理解と西田の「純粋経験」をめぐる思想との間に、近いものがあることを両者が感じとっていたからではなかろうか。(人間・西田幾多郎)
亡きがらを一夜抱きて寝しこともなほ飽き足らず永久に思はむ
土肥の海こぎ出でて見れば白雪を天に懸けたり富士の高根は
これの世に母と妹のなきことを一日忘れて君が遊びし
ひたすらに面わをまもれり悲しみの心しばらく我におこらず
かにかくに我も昔は男山海山越えしこともありしが
資料:岩波文庫:西田幾多郎歌集